神様にも形があり、神に通じる道があった。

スポンサーリンク

無心、そうそれは神である。

しかし、人間は「無心」をこの世に存在させることができない。

なぜなら、心で認識して初めて創造される世界であるから。

逆にいうと、

人間である限り、常に心が存在してしまう。

それは、自分が自分を示すために、人間という体を通しているから仕方のないことなのだけれども、生きていくうえで、人が一番神に近い状態になる瞬間がある。

それは「しびれ」である。

その自由のきかない状態は、現実でもなければ非現実でもない。

5分と5分のせめぎあいの、フィフティーフィフティーの関係で存在している。

それが神に一番近い状態ではないだろうか。

しびれ、それは快楽。

故に、快楽を形にしたものが「しびれ」なのです。

いや、こうだろう、しびれが気持ちいいのではなく、

その元々ある神の状態であることを心地良く感じているのではないだろうか。

それは、神の状態ではなく、人の体を借りてこの世で生きることがどれだけつらいか、ということの証明でもある。

もともと「シビレ」という最小の単位に、

0622-02

「考える」という事を足したのが人間の生まれだ。

0622-01

インドではその最小の単位をブラフマーやアートマンとよぶ。

仏教ではそれを「空」と呼ぶ。

エウレカセブンではそれを「状態」と表現する。

まどかマギカでは「アルティメットまどか」と呼ぶ。

リリイシュシュのすべてではそれを「エーテル」と呼ぶ。
とりあえず自分も世界もそれを「神」と呼ぶ。

個人個人では、夢中になるもの、その中に「シビレ」を感じる。

サッカーをしている時、ゲームをしているとき、その時々で心にしびれを感じる。

それは生きがいであり、神であり、正義であり、自分の真ん中である。

そして、人間全員に共通してる事、それはセックスだ。

その中で、一瞬だけ神になれる時がある。

だから、みんな大好きだ。神に戻りたいと思ってる。

人間はその「神」に戻るチャンスを均等に与えられているのだ。

人間の行動は最終的には神回帰。

スポンサーリンク
スポンサーリンク